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弟冨士浅間神社付属神楽

※秩父市無形民族文化財 昭和34年指定

当社の神楽は、旧社家である石井家によって行われる神子神楽でありましたが、 安政年間に上州新町の徳丸によって徳丸流神楽が伝えられ、氏子の娯楽を兼ねた芸能として盛んになったものです。

座数は全18座で、歌舞伎の技法を採り入れた大きい動きと、かつての神子神楽の名残である神職による

「奉幣」が特徴となっており、節分祭、例大祭、収穫感謝祭(新嘗祭) には付け祭りとして当社神楽師により奉奏されます。

(1)発祥

「舞」 安政3年

   群馬県新町の車大工徳丸より伝授されたもの 

「囃子」安政4年

   白久の亀吉他より伝授されたもの

 

 「安政4年太々神子神楽座組連盟」の古文書が

 当神楽の伝承を示す最も古い文書。

 当神楽の「お囃子」の発祥と考えられます。

 古文書によれば、安政4年正月12日

 白久村の5人の人物からお囃子を教えてもらった

 ことが確認できます。

浅間神社

安政四年 太々神楽座組連名 

(2)座数 18座
         座外3座「蚕神」「狐釣」「神前神楽」   

当社創建時の石井家神職神楽と日本神話や地元芸能をもとに

演劇性、娯楽性に富む「採物神楽(物を持って踊る神楽)」となっています。

座外3座

(3)お囃子の数       17囃子

(4)使用する楽器    笛1、大太鼓1、小太鼓2

(5)舞形                基本は二種類 平、隅 

(6)特徴

「奉幣」

    石井家時代の名残 神職が素面で清める舞

 

「神前神楽」

    節分祭時に拝殿で舞う。大国主命(おおくにぬしのみこと 別名:大黒様)と天宇受売命(あめのうずめのみこと)が

 五穀豊穣、縁結び、商売繁盛を祈り奉奏します。

 

「気毘大神」

   県内の他の神社には見当たりません。

   秩父神社神楽の「湯笹の清め」の座に近いと考えられ、徐々に変化して現在形になったものと

 考えられています。

 別名 釜背負いひょっとこ

(7)神楽面 31面 年代不詳

鬼、けんもち、般若の面は以前はくわえ面だった。大山祇の面は評価が高い。

(8)用具類

403点  

袴、法被、羽織、裃、狩衣(かりぎぬ)他多数。

安政3年から昭和59年までの間、6回の新調、補修を重ねています。

(9)神楽師 17名 

勤務状況等で現在実際稼働する人数は10名程度

 

歴史 

安政3年   徳丸伝授

文久2年5月 師匠 引間是之助~

現在 中山 旭会長で12代続いています。

浅間神社 神楽系譜
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